ワラノの雑記帳

気まぐれに、長文で書いたり短文で書いたり

脳みそもっと使いたい

頭使ってないなぁ、と思うこの頃。

Youtubeは好きだけど、最近はどうも「面白い」よりも「時間の無駄」っていう気持ちのほうが強い。ショートなんてもっと最悪だ。勝手に好みの動画が出てくるものだから、手が止まらずにどんどんスクロールして、気合いでアプリ閉じたとしても残るのは虚無感だけ。観てる間は楽しいと錯覚して麻痺している気がするが、でも観てしまう。まるで危ない薬だ。

SNSも好きだけど、いらない情報ばっかり目に入って、何だか雑音がすごい。好きなアニメの話とか、見ててあったかい気持ちになるものは別にいい。でも暗い話が流れてくると、こっちまで気分が沈んで、見なきゃよかったなってなる。他人の家庭事情とか興味ないです!って思って興味ない申告するけど、やっぱりしばらくすると出てくる。SNSには、どうやら不死身のゾンビが多いらしい。

とにかく、スマホ見てる時間が無駄に思えてならない。

というか世の中の流れるスピードが速すぎて、疲れる。何をそんなにせかせかしてるんだ。もうちょいのんびりいこうぜ。

ってことで、とりあえずSNS関連のアプリをスマホのホーム画面の3ページ目に置くことにした。実質、倉庫行きである。そしてスマホを出かけるときに使うバッグの中に封印した。もうしばらく世の中のこと見たくない。頭いっぱいっぱいになりすぎて、そんな世捨て人みたいな気持ちになってる。

そこでたどり着いたのが「読書」だ。

久しぶりに図書館に行って、久しぶりにハードカバーの本を借りてきた。

が、見事に読めない。好きだった読書が疲れる。

SNSってほんとに毒だと思う。スマホ持ち始めてから馬鹿になった実感あるもの。

動画とかSNSってどうしても受け身になっちゃうから、せっかく貴重な情報でも頭に残らない気がする。でも本は自分から「読むぞ!」って気合い入れないと内容が理解できないから、情報をものにしやすい。気持ちの問題かもしれないけど。

だから読書は疲れる。SNS脳になってるから尚更疲れる。スマホを知らなかった、純粋に読書を楽しめてた中学時代に戻りたい。

でも最近意識して本を読むようになったら、楽しいって感覚が少しずつ戻ってきた。

喜ばしいことだ。ついでに学ぶための読書も始めた。

学びといっても、そんな堅苦しいことじゃない。ただ読書の傍ら、横に電子辞書を置いて、知らない単語が出てきたらその都度調べるようにしている。

普通に読んでるだけで、知らない単語や漢字が出てくる出てくる。自分の無知具合にガックリしながらも、こんな素敵な言葉が使えたらな、なんて憧れる。

塵も積もれば山となる、じゃないけど、少しずつでも知らない言葉とか漢字の意味を知ることができるのが、自分の知識として身についている気がして、勝手に勉強した気分になっている。まあ、記憶力がそんなに良くないのですぐ忘れてしまうのだが、それも良しということで。

今日は『牛蒡』という言葉を知った。『ごぼう』と読むらしい。

読めるわけないだろ、と一人つっこむのも、また読書の楽しみだと思っている。

 

休みの終わり

休みが終わる。

 

いやだ…また電車に乗って、行って、帰るだけの毎日になってしまう。

今回の休みも、たいして何もできなかった。

このブログ始めたことぐらいかな、新しく始めたの。

あとつけペンを買った。Gペンって漫画家さんがよく使ってるやつ。アナログで線引いてみるだけでテンションあがっちゃうよね。

限界大学生とかよく言ってるけど、自分なんてまだ良い方なのかも、っていろんな人の話聞いて思ったり。バイトしないで生きられるだけマシなんだと思う。

まぁ、もう貯金ないけど。お昼どうしようかな。

 

自分の場合「のんびりゴロゴロ」の生活がもしかしたら合わないんじゃないかって、今回の休みで思った。

のんびりゴロゴロの生活憧れるんだけど、毎日に張り合いがないというか、1日がものすごいスピードで終わってしまって、もったいない気がする。

かといって、外に出る元気はない。友達もいない。

 

最近、元気がなさすぎて本が読めない。読んでて、目がすべるすべる。頭に言葉が入ってこないから、何回も同じ所を読み返す羽目になって、駄目だ!って本を閉じてしまう。読書大好きなはずなのに。

これでも中学生の頃は、分厚いSFの本を一日一冊のペースで読んでた人間だったのに。どうしてこうなった。

本棚が、まだ読んであげられてない本で埋まってしまってるの見て、悲しくなる。

 

気づいたらずっと何かを考えてるから、本読んでても、映画みてても、気が散って集中できない。この休みに入ってから特に悪化してる気がする。まずいね。

通常運転の毎日に戻って、体も通常運転に戻ってくれればいいな。

 

あっかんべーの花

今日描いていたキャラクターに、花を持たせようとした。

何がいいかなーと考えて、私はとりあえず「花言葉」で検索した。

…絵描く人、花言葉とか調べるのあるあるだと、私は思ってる。

今回描こうとしていたキャラクターは「親子愛に関する悲しい過去がある」という設定だったので、悲しい花言葉を探した。

花言葉一覧を見ていると、聞いたことのある花の名前がちらほら出てきた。

しかし、どれも悲しい花言葉ではなく、明るい言葉ばかり。

そんな時、ある花の名前が目に入り、私は思わず手を止めた。

ハルジオン

…なんかどこかで聞いたことがある。

なんだっけ、と思ってしばらく考えてみたが、結局よくわからなかった。

薬の名前っぽいなと一瞬思ったけど、それたぶんアレジオンだね。

あとで調べてみたら、有名な人の曲名でもあるらしい。知らなかった。いつか聞いてみようと思う。

そんなハルジオン、肝心の花言葉はというと、

追想の愛

とあった。

 

なんてこったい。ぴったりじゃないか。

フィーリングではそう思ったけど「追想」ってなんだ? 追憶みたいなものか? となったので、調べてみた。

 

つい‐そう ‥サウ【追想
〘名〙 過去の出来事や去った人たちを思いしのぶこと。追憶。追懐。

kotobank.jpより引用

 

ほーん、なるほどね。

結構いいのでは?となったので、次に画像検索をしてみた。

出てきたのは白い花。

ピンクがかってるのもあり、最初の感想は「菊っぽいな」だった。

 

そして突如、ある懐かしい記憶が急に蘇ってきた。

 

「これ、あっかんべーの花じゃね?」

 

あっかんべーの花。

小学生の頃、みんなで歩いた田舎道。その道端に生えていた小さい花とハルジオンは、そっくり瓜二つだった。

まさか、こんなところで出会うなんて。

ひとり感動してしまったが、どうやら私が小学生の頃あっかんべーの花と呼んでいた白い花は、ハルジオンという花だったらしい。

ハルジオン…お前そんな名前だったんか。

「あっかんべーの花」という名前の由来は、その花を使った遊びから、誰かが勝手に呼び始めたのが最初だった。

ハルジオンを使った遊び。それは

 

これを…

こう

 

あんまよくわかんないね。描いてて自信なくなった。

ようは、花を後ろからつまんで、真ん中にある黄色い部分を指で潰す。

真ん中部分がぶにゅって潰れて舌のようにみえるから、「あっかんべーだ!!」とか言って、キャッキャ騒いでた。それだけの遊び。

子供って残酷なことを平気でするよね。虫とかにあんなことやこんなことしたり。命を学ぶにしては犠牲が大きすぎるんだよな…

そんなしょーもないガキンチョ共の犠牲になってしまった、数多のハルジオン。

ごめんよ。今回絵に描いて供養しよう。

 

と、思っていた矢先、描いていた絵が普通にボツになった。

厚塗りに挑戦しようと思って、盛大に失敗してしまった。悔しい。

なので花の部分だけスクショ。暗いけど。

花サイズ間違えた

厚塗りやってる人すごいな。アニメ塗りでさえ難しいってのに。

ちなみに花言葉の「追想の愛」の由来は、ハルジオンがつぼみ状態の時に下を向いてしまうからだそう。過去を思い返している人にみえて…いや辛い。

キャラのこと思ってたら悲しくなってきた。

 

4月から6月がハルジオンの開花時期だ。

たまにはそこらへんの草を見て歩いてみるのも面白い。事故らない程度にね。

あっかんべーの花が咲いてるかもしれない。

 

飽き性オタク

私はアニメが好きだ。漫画も好きだ。

でも飽き性だ。

とにかく続かない。好きという気持ちが続かないのだ。

昔、中学生の頃、アニメや漫画が好きになり、高校生の頃に初めて心から「推せる」と思える作品に出会った。あの頃が自分の中で「好き」という気持ちの全盛期だったのかもしれない。

高一の頃推していた作品は「好き」が1年もった。

高二の頃推していた作品は「好き」が半年もった。

 

最近はというと、もって2ヶ月。短くて2週間だ。

 

何故こんなにも飽きるのだろう。好きという気持ちはあるはずなのに。

 

「好き」に自信が無いから、グッズを買わない

年々、好きという気持ちが短くなっている気がする。賞味期限が短くなってる感じだ。

正直にいうと、私は自分の中にある「好き」という気持ちに自信がない。

そもそも自分自身に自信がないってのもあるし、何なら自分の考えてることとか、自分の意見とか、そういったものも考えれば考えるほどわからなくなる。堂々巡りで、思考がどんどん変な方向に行ってしまう。

だから「なんでこれが好きなんだ?」なんて余計なこと考え出したらもう駄目だ。飽きるまで秒読みである。

 

そんな私だが、一応オタクをしている。でも人によっては「これはオタクではない」と言われるような推し方をしている。

 

私は「グッズを買わない」。

 

アニメは観るし、原作も買う。気になることは調べるし、ある程度は作品に詳しくなっている気になっている。

でも、ほとんどグッズを買ったことがない。

これまでハマってきた作品がグッズを出してないから買えてないというわけではなく、自分で買わないという選択をしている。

何故か。自分で考えて思ったのは、「どうせすぐに飽きる」という気持ちがずっと心の底にあるからなのではないかということだ。

昔から飽き性に加えて、諦め癖もひどかった。

そんなことだから、ますます飽き性が悪化していったのだと、今書きながら思った。

最近「推し活」が世の中で当たり前になってきたことで、どんな作品にもグッズが作られている。喜ばしいことだ。世の中のオタクは狂喜乱舞である。

でも私は、そんなありがたい世の中だというのに、ちっともグッズが欲しくない。

自分でも不思議だった。オタクはグッズを買ってこそという、ある意味理想像のようなものが自分の中にあった。でもいざ自分がオタクになってみると、私の中にグッズが欲しいという気持ちが湧かない。

これはオタクと言っていいのだろうか。

 

先日こんなことがあった。

私はグッズを買った。早速矛盾してるではないかと言われそうだが、グッズを買ったのは事実である。

なぜ急にグッズを買ったのかというと、「これは一生推せる」と思う作品に二年ぶりにハマったのだ。それだけだ。いつもなら「グッズか…いらんな」となる自分が珍しく「グッズ欲しい!」という気になったのだ。とうとう私も真・オタクの仲間入りか…!と勝手に嬉しくなったものである。

ネット注文で買ったグッズだったのだが、訳あって届くまで三ヶ月かかる羽目になってしまった。ポチった当時は全然待つからという気持ちで、届く三ヶ月後のことをワクワクしながら待っていた。

しかしである。もう察しがついている人も多いだろうが、三ヶ月後の私はポチったグッズの存在自体をすっかり忘れていたのだ。何なら一ヶ月後くらいには飽き始めていた。

ここまでくると救いようがない。今は別の作品にハマっているし、正直届いた商品を開けても「あーーー」という微妙な感想しか出てこなかった。

何でだ、何でこうなる…と言ってもこれが私の性分だからしょうがない。諦め癖の再登場である。

 

こんなことが何度かあったので、私はなるべくグッズを買わないようにしている。

 

飽き性の原因、精神が年取ってるのかも

純粋に「好き」が楽しめない。私の場合これに尽きると考えている。

子供というのは純粋だ。余計なことを考えなくていい。家もあるし、家族が甘やかしてくれる。好きなことをしてていいし、晩御飯の心配もしなくていい。

でも義務教育分の知識をつけた今、今を生きるんじゃなくて、将来の心配をする必要が出てきた。

「このキャラサイコー!」→「でもアニメ見てる時間で他にもっとできることが…」

「このグッズかわいいな」→「生活費なくなるぞ」

何か行動を起こそうとするたびに、私の中でストップが入る。

これが積りに積もった結果、めんどくさがりの私はほどほどでやめるようになった。

悲しい生き方である。好きなことに時間とお金が割けない。

とにかく私は余計なことばかり考える。少しでも自信がなくなると「これは『好き』に入れていいのか?」って、すごくめんどくさいこと考えたりする。

そしてすぐに飽きてしまう。飽きたと思い込んでしまう。考えるのが疲れるから。

昔はよかった。小学生の頃に好きだった「ドラえもん」のひみつ道具図鑑を何度も何度も飽きずに読み返して、ほとんど内容を暗記していた。今思えば異常だったかもしれない。

しかし、今となってはどうだ。「好き」だと思ったアニメも漫画も、全然読み返さない。一度読んで、めっちゃ良かったな!と思って終わりだ。

元からオタクに向いてない性格なのかもしれないし、単純に最近は体力がないからなのかもしれない。まだ若いはずなのに。あー大人って嫌だ。

 

オタクしてるオタクが羨ましい話

純粋に、一つのジャンルを何年も推しているオタクがすごいと思っている。羨ましいし、尊敬の念すら抱いている。

きっと脳みそのつくりが違うのかもしれない。一つのものにずっと「愛情」を注ぎ続けている。とても私にはできない。飽き性だから。

自分だってグッズを愛でたい。でもすぐに飽きてしまう将来を考えると、怖くて買うことができない。

 

私は一番好奇心が旺盛であったはず小学生の頃の記憶があまりない。多分何もしてなかったからだろう。漫画にすごくハマってたとか、そういうのも無い。ゲームばかりしてたってことをかろうじて覚えている。でも「これに人生変えられた!」とか、そういう作品には残念ながら出会えなかった。

そのため、「小さい頃からこれが好きで!」ていうのを持ってる人に対して、少しコンプレックス的なのを持ってる気がするのだ。そういうのが一つでもあるのが羨ましい。

だから今になっても、ものすごく好きで好きでたまらない作品があるっていうオタクが羨ましい。すごいことだと思う。オタクは誇りに思って欲しいです。

 

オタクの基準

私みたいのがオタクかオタクじゃないか問題は、どこに重きを置くかで変わるので、人によって答えが変わると思う。

だからもし自分みたいな飽き性オタクがいたら「自信持ってくれ」と言うしかない。

少数派ではあると思うけど、人それぞれだから。目に見えない推し方もあると思うし。

たぶんね。そう思い込んでおこう。

 

SNSデビューしようとしたらシャドウバンくらった話(2024年編)

 

※注意※

ここにX(旧Twitter)のシャドウバンの解決方法は書いてないです。ただの体験談的なやつなのでちゃんとした解決方法を知りたい方は他を当たってください!インスタとか他のSNSはやってないのでよくわかりません。

 

はじめ

最近になって「SNSで自分の絵を見てもらいたい」と思うようになった。きっかけはあるアニメにハマったことがきっかけである。いわゆる二次創作というものだが、下手ではあるものの描いたイラストが少しずつたまっていった。そして「ここは一つSNSで公開してみようではないか!」という気になったのである。

いざ新しいアカウントを!

できた!プロフィールもできた!

やる気は十分!あとは公開するのみ!!

…そう。ここまではよかった。

 

チキン、投稿する

SNSで全世界に公開するというのは自分にとってかなり勇気のいることで、まあビビりにビビりまくった。まず一つのポストを作るのに30分。投稿しようにも文面がおかしくないか何度も確認し、投稿ボタンを押す勇気はいつまでたっても出ず…結局その日にボタンは押せず。悩みに悩んだ末、予約投稿をすることにした。

そんなチキンな私はガクブルしながら予約投稿の時間を待っていた。

そして運命の時間がやってきた。自分のプロフィールを見に行ってみると、私のイラストが投稿されている!嬉しいやら緊張やらで心臓が破裂するような思いだった。

やった!やっと私の描いたイラストが見てもらえる!

が、インプレッション数を見てみると、そこにあったのは「1」という数字。

当たり前だ。まだ投稿されてから10秒しか経ってねぇもの。

…そんなこんなで明日は少しくらい反応あったらいいな、と期待に胸を膨らませながら私はXを閉じ、布団に入った。変に緊張して眠れなかったのはいい思い出である。

 

そして何故かBANされた

次の日。

Xを開いて、目を疑った。

「インプレッション数『2』!!!!」

嘘だろ!?なんで!?

いやびっくりした。

見事に自分しか見ていない。FF0の鍵垢かよと思わず突っ込んでしまった。

バグかなとも思ったけど、そうでもなさそう。

当たり前だけど、いいねはひとつもなし。

言い忘れていたのだが、私は昔、Xが青い鳥だった時代に一度だけ公開アカウントでイラスト投稿をしていたことがある。当時はネットのマナーも何も知らない状態だったので無敵状態で…まぁメンタルおかしくなってやめたんだけど。

その話はどうでもよくて。とにかく過去にイラスト垢を運用していたこともあって、はじめてイラスト投稿した後の挙動については何となくわかっていたつもりだった。

だからこそ「これはおかしいぞ」となったわけで。

まずセンシティブな絵ではない普通のファンアートだったので、公式で推奨されていたハッシュタグを付けさせてもらっていた。

それにも関わらず、誰のTLにも流れていない。投稿してから一晩は経ってる。ちゃんと公開アカウントにもしてる。

恐る恐る、ROM専で使っていた別アカウントでそのタグを検索にかけた。

 

結果『投稿、出ず。』

 

えーマジかー。

ならば私のアカウントは?検索したらさすがに…

 

結果『アカウント、出ず。』

 

もう瞬時に察した。

「これ…シャドウバンでは?」と。

 

咄嗟に「そう理解した時の私の心情を100文字で書きなさい。」って問題出したくなった。初っ端からこれか!私のドキドキわくわくを返せよと!

もう怒りたいやら悲しいやらでひたすら布団をボスボス叩くしかなかった。

 

しばらくして布団叩いても部屋が埃くさくなるだけと気づいたので、私は大人しくシャドウバンになってしまった原因をスマホで調べ始めた。

 

原因を分析してみた(何もしてないけど)

まず、シャドウバンについてざっと調べてみた。

するとどうやらシャドウバンは凍結などとは違い、「シャドウバンしてますよー」と公式が言っているものではないらしいということがわかった。

要は他のアカウントに表示されにくくなる現象のことをX利用者が勝手に「シャドウバン」と呼んでるだけで、そのBANの対象になる線引きは正確には分からないとのこと。

ただ、Xから減点される(してはいけない)行動があるようで、それをしまくったりするとシャドウバン現象に近づいていくそうだ。

シャドウバンになる原因とか解除方法とかは他の人がもっとわかりやすく記事にしてくれてるので、絶対そっちみたほうが早い。ので、ここには書きません。

そんな感じで調べてみたんだけど…

「心あたりがねぇ!」ってのが本音。

いやマジで何もしてないんですよ。ハッシュタグは公式推奨のやつしかつけてないし、文もその作品に対する感想を一言だけ。リンク貼ってるわけでもないし、フォロー・いいねしまくってるわけでもない。

原因わからなすぎて困った。みんなが言ってる「してはいけない行動」に全っ然当てはまらないんだもの。

だから個人的にこれがまずかったのかなーって思ったやつが

  1. ユーザーIDを短時間の間に変えすぎた
  2. アカウント作ってすぐに放置してしまった
  3. フォロー・いいねを逆にしなさすぎた
  4. 鍵垢をすでに二つ持ってる
  5. 最初のイラストが上裸の少年だった

 

うーん。

 

5はアウトだったかな……

 

でも言い訳させてくれ!

その描いたキャラクターは主人公で、別にセンシティブな感じの裸じゃないんだ。最初からそういうキャラクターで…それに私の絵柄は結構デフォルメ強めだから、センシティブには見えないはずなのに!

他の方がなかなかきわどい絵を投稿されてる中、これが原因でBANされたならちょっと納得できないなーって思っちゃったり。わからないけど。

1234に関しては完全にチキンだったからです。それだけ。

 

いや、今思えば何で最初の投稿が上裸の少年なんだよって感じなんだけど。

そこもうちょっと慎重になれよと過去の私に言ってやりたい。

けど、当時それが一番うまく描けたんだよね。最高の絵が描けたのが嬉しくて、もうウッキウキで投稿する気満々の私は止められなかった!残念!

 

勝手にまとめる

シャドウバンについて調べる中で思ったのは、「X シャドウバン 解除」で調べてもあまり最新の情報が出てこないなってこと。一番最新のやつで3ヶ月前の情報だったり、半年前の記事が多かったりな気がした。調べ方が下手なだけかもだけど。だから最近は、全体的に見るとシャドウバンがおさまってるのかもしれない。

そしてシャドウバンは凍結とは違うので、Xの運営に直接異議の申し立てができない。ちょっと前まではできたらしいけど、自分が試してみたときには問い合わせフォームがなくなってた。あと何故か日本語翻訳されてないページが出てきて困った。こんな感じだったのでもはや凍結された方が良かったんじゃ…って思ってしまったり。

あとシャドウバンチェッカーのサイトがいくつかあったけど、あれは参考程度の方がいいかもって思った。自分も試したけどサイトによって結果が違うし、鵜呑みにはできない。

 

おわり

まさか自分がシャドウバンの対象になってたとは思いもしなかったけど、投稿数1の状態でBANされちゃったらもうどうしようもない。調べた感じ、Xで新アカウント作りたてはシャドウバンの対象になりやすいらしい(どんなシステム…)のでこれから新アカウント作る人は気をつけてね。けど、おかげでずっとやってみたかったブログに手を出すことになったから、まあ結果オーライってことで。

シャドウバン解除には放置が一番いいらしい。フォロー・いいね・ブックマークなどをせず、とにかくXに触らない。早い人は3日くらいで解除されるとか。

なので私は今も放置してる。

 

……ところで、私が放置を始めてからそろそろ3週間になる。

 

もうなんか一生なおらない雰囲気してるけど。