ワラノの雑記帳

気まぐれに、長文で書いたり短文で書いたり

飽き性オタク

私はアニメが好きだ。漫画も好きだ。

でも飽き性だ。

とにかく続かない。好きという気持ちが続かないのだ。

昔、中学生の頃、アニメや漫画が好きになり、高校生の頃に初めて心から「推せる」と思える作品に出会った。あの頃が自分の中で「好き」という気持ちの全盛期だったのかもしれない。

高一の頃推していた作品は「好き」が1年もった。

高二の頃推していた作品は「好き」が半年もった。

 

最近はというと、もって2ヶ月。短くて2週間だ。

 

何故こんなにも飽きるのだろう。好きという気持ちはあるはずなのに。

 

「好き」に自信が無いから、グッズを買わない

年々、好きという気持ちが短くなっている気がする。賞味期限が短くなってる感じだ。

正直にいうと、私は自分の中にある「好き」という気持ちに自信がない。

そもそも自分自身に自信がないってのもあるし、何なら自分の考えてることとか、自分の意見とか、そういったものも考えれば考えるほどわからなくなる。堂々巡りで、思考がどんどん変な方向に行ってしまう。

だから「なんでこれが好きなんだ?」なんて余計なこと考え出したらもう駄目だ。飽きるまで秒読みである。

 

そんな私だが、一応オタクをしている。でも人によっては「これはオタクではない」と言われるような推し方をしている。

 

私は「グッズを買わない」。

 

アニメは観るし、原作も買う。気になることは調べるし、ある程度は作品に詳しくなっている気になっている。

でも、ほとんどグッズを買ったことがない。

これまでハマってきた作品がグッズを出してないから買えてないというわけではなく、自分で買わないという選択をしている。

何故か。自分で考えて思ったのは、「どうせすぐに飽きる」という気持ちがずっと心の底にあるからなのではないかということだ。

昔から飽き性に加えて、諦め癖もひどかった。

そんなことだから、ますます飽き性が悪化していったのだと、今書きながら思った。

最近「推し活」が世の中で当たり前になってきたことで、どんな作品にもグッズが作られている。喜ばしいことだ。世の中のオタクは狂喜乱舞である。

でも私は、そんなありがたい世の中だというのに、ちっともグッズが欲しくない。

自分でも不思議だった。オタクはグッズを買ってこそという、ある意味理想像のようなものが自分の中にあった。でもいざ自分がオタクになってみると、私の中にグッズが欲しいという気持ちが湧かない。

これはオタクと言っていいのだろうか。

 

先日こんなことがあった。

私はグッズを買った。早速矛盾してるではないかと言われそうだが、グッズを買ったのは事実である。

なぜ急にグッズを買ったのかというと、「これは一生推せる」と思う作品に二年ぶりにハマったのだ。それだけだ。いつもなら「グッズか…いらんな」となる自分が珍しく「グッズ欲しい!」という気になったのだ。とうとう私も真・オタクの仲間入りか…!と勝手に嬉しくなったものである。

ネット注文で買ったグッズだったのだが、訳あって届くまで三ヶ月かかる羽目になってしまった。ポチった当時は全然待つからという気持ちで、届く三ヶ月後のことをワクワクしながら待っていた。

しかしである。もう察しがついている人も多いだろうが、三ヶ月後の私はポチったグッズの存在自体をすっかり忘れていたのだ。何なら一ヶ月後くらいには飽き始めていた。

ここまでくると救いようがない。今は別の作品にハマっているし、正直届いた商品を開けても「あーーー」という微妙な感想しか出てこなかった。

何でだ、何でこうなる…と言ってもこれが私の性分だからしょうがない。諦め癖の再登場である。

 

こんなことが何度かあったので、私はなるべくグッズを買わないようにしている。

 

飽き性の原因、精神が年取ってるのかも

純粋に「好き」が楽しめない。私の場合これに尽きると考えている。

子供というのは純粋だ。余計なことを考えなくていい。家もあるし、家族が甘やかしてくれる。好きなことをしてていいし、晩御飯の心配もしなくていい。

でも義務教育分の知識をつけた今、今を生きるんじゃなくて、将来の心配をする必要が出てきた。

「このキャラサイコー!」→「でもアニメ見てる時間で他にもっとできることが…」

「このグッズかわいいな」→「生活費なくなるぞ」

何か行動を起こそうとするたびに、私の中でストップが入る。

これが積りに積もった結果、めんどくさがりの私はほどほどでやめるようになった。

悲しい生き方である。好きなことに時間とお金が割けない。

とにかく私は余計なことばかり考える。少しでも自信がなくなると「これは『好き』に入れていいのか?」って、すごくめんどくさいこと考えたりする。

そしてすぐに飽きてしまう。飽きたと思い込んでしまう。考えるのが疲れるから。

昔はよかった。小学生の頃に好きだった「ドラえもん」のひみつ道具図鑑を何度も何度も飽きずに読み返して、ほとんど内容を暗記していた。今思えば異常だったかもしれない。

しかし、今となってはどうだ。「好き」だと思ったアニメも漫画も、全然読み返さない。一度読んで、めっちゃ良かったな!と思って終わりだ。

元からオタクに向いてない性格なのかもしれないし、単純に最近は体力がないからなのかもしれない。まだ若いはずなのに。あー大人って嫌だ。

 

オタクしてるオタクが羨ましい話

純粋に、一つのジャンルを何年も推しているオタクがすごいと思っている。羨ましいし、尊敬の念すら抱いている。

きっと脳みそのつくりが違うのかもしれない。一つのものにずっと「愛情」を注ぎ続けている。とても私にはできない。飽き性だから。

自分だってグッズを愛でたい。でもすぐに飽きてしまう将来を考えると、怖くて買うことができない。

 

私は一番好奇心が旺盛であったはず小学生の頃の記憶があまりない。多分何もしてなかったからだろう。漫画にすごくハマってたとか、そういうのも無い。ゲームばかりしてたってことをかろうじて覚えている。でも「これに人生変えられた!」とか、そういう作品には残念ながら出会えなかった。

そのため、「小さい頃からこれが好きで!」ていうのを持ってる人に対して、少しコンプレックス的なのを持ってる気がするのだ。そういうのが一つでもあるのが羨ましい。

だから今になっても、ものすごく好きで好きでたまらない作品があるっていうオタクが羨ましい。すごいことだと思う。オタクは誇りに思って欲しいです。

 

オタクの基準

私みたいのがオタクかオタクじゃないか問題は、どこに重きを置くかで変わるので、人によって答えが変わると思う。

だからもし自分みたいな飽き性オタクがいたら「自信持ってくれ」と言うしかない。

少数派ではあると思うけど、人それぞれだから。目に見えない推し方もあると思うし。

たぶんね。そう思い込んでおこう。